AWEFの自作ボドゲ晒しブログ

ボドゲ関連はTwitterに書くことが多くなってしまったため、ここのブログはその他ゲームとかアニメとかいろいろです。

GaaXによるゲームの整理

ゲームとは何か?
数多くの人によって様々なアプローチで定義・検討・論評されているが、
ここではどのような形でプレイヤーに提供されてきたか、という観点で
分類・検討してみた。
「Game as a X(何か)」の略でGaaX。
ゲームそのものの定義をしているわけではないのであしからず。

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GaaSim (Game as a Simulation)

ちょっとさかのぼりすぎだけど、ようするに哺乳類はすべからく
シミュレーション的なものの中にゲーム性を見出している。
犬とか猫とかイルカとか、もちろんサルとか。
ヒトの子供も本能的に遊びを作ることもある。
いわゆるごっこ遊びとか。
それぞれの生き物が成体になった時の練習である、とも言われている。

GaaR (Game as a Rule)

古来、ゲームとはルールそのものだった。
シミュレーションから離れて、アブストラクトなものを扱えるようになった
知性から生れ出た、「ルール」を共有する、ということ。
囲碁、マンカラ、バックギャモンチャトランガetc。
装飾の美しい道具もあるが、ルールさえ把握できれば木切れに印を
つけるだけで遊べる。
ゲームは口伝で伝わり、伝わるごとにルールはアレンジされ、
「プレイヤーが楽しむために」常に進化し続けていた。

GaaTy (Game as a Toy)

知識(ルール)に値段をつけることが難しかった時代、
「遊び」をお金にするためのアプローチとして、自分の手では作れないような
クオリティ・オリジナリティが重要になった。
GaaRのものとは異なり、ゲームを所持していることは少し特別なこととして
考えられていると想像される。
江戸時代の絵双六から始まり、いまでも人生ゲームは新しいものが出ている。
中世、遊びをいかに簡単に共有し、「楽しそう」に見せるか。

さらには、継続的に「ゲームを売る」ための手段として、ゲームを
「消耗」させることも必要になる。
常に新しいものを提供し続ける、など。

GaaC (Game as a Community)

「遊び」に価値を付与するもうひとつのアプローチとして、
人が集まる場を作り、そこに参加することの価値を演出する、などがある。
ゲームのプロ化、神聖化、コミュニティ化。
棋院、リフォームクラブなど。
ある意味でゲーム自体は何でも良い。

GaaSw (Game as a Software)

GaaTの派生ではあるが、コンピュータ化が進むことによりユーザは
遊ぶための道具をソフトウェアとして入手することが出来るようになった。
開発費は上がるが、単価の製造費は低いので、大量生産が必須となり、
より広いユーザに受け入れられる必要が出てきた。
特に、ダウンロード販売が普及するにつれ、その傾向は顕著になり、
海外展開などが前提となりつつある。

GaaSc (Game as a Social)

これはGaaCの派生で、ゲームを遊ぶ場を広く提供することによって、
少しでも多くの人に遊んでもらうことに成功する。
格闘ゲーム音ゲーなどはゲームセンターから始まった。
そして、コミュニティそのものを提供するゲームが現れる。MMOなど。
やがてGaaScは発展し、コミュニティ要素にのみ重点を置いたゲーム、
いわゆるソーシャルゲームなどになっていく。

GaaTsk (Game as a Task)

はたしてゲームとは何か、一人でも多くのユーザにプレイしてもらうために
どのような形態であるべきか、ということを突き詰めていった末にたどりついた
ある種ゲームの究極の姿。
本能的な遊びであるGaaSimを現代に当てはめると?
つまり、ユーザに単純な仕事を振る、というもの。
テトリスを無限にやり続ける主婦、というのが代表的なものだが、
近年のポチポチするだけのソーシャルゲームはその究極の姿と思われる。
ここにはもはやゲーム上のルールはほぼ存在せず、ただ時間を割くことだけが
ゲームをする、ということになっていく。
重要なのは、いかに何もしないでいいか。
反面、ゲームを進めることのメリット、「褒め」が重要。

現代までの整理

この視点で追いかけていくと、ゲームの変化とはいかに
マネタイズしていくかの試行錯誤であると言えよう。

また、副作用的な側面として、ゲームに求めるものが徐々に簡易に
なっているように見受けられる。
これは、「快」をよりプリミティブなものに近づけること、あるいは、
人の発達過程における「快」をさかのぼっているようにも見える。
これは自分のうがった視点も含んでいるが、少し整理しておきたい。

人間の発育において、最初は母親との接触に対する安心感、
アクションに対するリアクションによる喜びもとめるようになり、
やがて人との交流を持ち、社会との接点を求め、最後には
文化・学問を究めようとする。(人も多い)

GaaXとのマッピングを示すと…、最初に母親との接触に対する安心感が
まだ手を付けていない領域なのでは?
そこで、今後数年以内に来るであろう新しいゲームスタイルを提唱する。

GaaL (Game as a Life)

常時接触し、何をするわけでもなくただリターンを返し続けてくれる。
そんなプレイングスタイル。永遠に揺れるゆりかご。
なんだそれ、という感じではあるが、実は簡単に実装できる。
ウェアラブル系端末により、ユーザの日常的な行動をゲーム的に反映させる。
重要なのは、どういう行動をすれば有利不利、という要素はほとんどなく、
なにをしてもなんだかんだで有利になる、というところ。
要するに万歩計のゲーミフィケーションであり、ウェアラブルデバイスに
求められる一番重要なコンテンツ・サービスだと思う。
現状でもそれっぽいものはあるが、残念ながらあくまでヘルスケア的な
要素でしかなく、ゲームとして遊んでいる人は少ない。
数十分に一度ボタンを押してください、という一見しょうも無いゲームを
あそこまで大きなコンテンツに育て上げることが出来たのだから、
万歩計のもっとキャッチ―なゲーミフィケーションは可能だと思われる。

究極的には、ゲームは24時間やり続けるものになる。
MMOのために学校や会社を辞める必要は無くなり、だれでもが常時ゲームに
接していることが出来るようになる。
まさに Game as a Life の世界。GaaLゲーと呼ばれるようになるだろう。
(今回のオチ)

まとめ

ゲームに求めるものは人それぞれ。
ただ、低レイヤなゲームであるほど、多くの人に受け入れられる。
マネタイズを考えると、どんどん簡単なものになってしまうのはしょうがない。
反面、GaaSim、GaaRのようなゲームを求める人もいるんだ、ということを
忘れないでいたい。
どのような形であっても、ゲームにはプレイヤーによってアレンジする
楽しみが残っているといいなぁ、と思う。